PROLOGUE
第11回は、第72代横綱・稀勢の里として知られる二所ノ関親方。中学卒業後鳴門部屋に入門し2002年に初土俵を踏む。2004年、年少2番目の記録である18歳3か月で入幕するなど若くして才能を開花させ、2019年に引退するまで数々の輝かしい実績を残した。引退後は親方として弟子の指導に当たり、2025年5月には日本出身力士としては稀勢の里以来8年ぶりとなる新横綱・大の里が誕生した。大相撲の伝統を重視しつつ、科学的なトレーニングやスポーツビジネスの手法を取り入れるなど、相撲界の未来を見据えた様々な活動を行っている。
横綱になるにも準備が必要

ありすぎます(笑)。
それもありますが、2010年11月九州場所2日目の白鵬戦です。横綱・白鵬の64連勝がかかっていた一番ですが、連勝記録をストップさせました。私はそれまで調子が悪かったんです。二場所連続で負け越して三役から前頭に陥落し、「稀勢の里は終わった」とまで言われていました。でもそこで、一から身体を見直すことにしたんです。自分自身でもがらっと変わった実感があった中で迎えたのがあの白鵬戦でした。横綱になる準備はあの一番から始まりました。そこから人生が大きく変わったんです。
そういうわけではないです。実力差がありすぎるので、そういう気持ちはだんだん薄れていきます。そうすると目標も無くなってきて、とりあえずいまこの場所を勝ち越せばいいやとか、そういう状況になってくる。でも私にとっての白鵬戦のような、ああいう大舞台を経験すると新しい目標ができます。「俺、ここまで行けるんだ、やれるんだ」というスイッチが入りました。
いま振り返るとそうだと思います。それまでは横綱になるという感覚はありませんでした。勢いだけ。運動神経のみ。とりあえず立ち合いはぶつかって、相手をぶちのめしてやろうという、もう、負けん気満々の相撲を取っていた。信じるのは筋肉のみ、みたいな(笑)。そういう男だったんです。
でもそれだとムラがありました。上位陣に行くと逆に自分のそういう気持ちを利用されて負けてしまうとか、すごくムラが多かったんです。このままだと横綱どころか大関にもなれないと思っていました。
自分自身の強みを活かせる部分を鍛える
武道を習いに行きました。武道の基本というのは「中心線」です。身体の中心を縦に貫く中心線をしっかり取ることです。天と地面が繋がっていて、一体になるようなイメージ。それから重要なのが呼吸法。そして丹田の意識。武道は日本人の強みでもあると思っています。そういう部分を鍛え始めました。曲がった身体を整えて、中心線をしっかり取って、丹田に意識を集中した時に、身体にやる気がぐーっと満ちてくるのが分かりました。
それまでは骨格の大きい外国人力士とも勢いと体格で勝負していたので、やはり限界がありました。しかし武道を学んだことで、相手の呼吸を読んで攻めたり、自分の中心軸をしっかり立てることによって滑らかな動きができたり、相撲の幅が広がって、押し相撲の精度がさらに増していきました。目に見えるように分かったんです。その直後にあの白鵬戦があって、それが確信に変わりました。

大関なんて全く夢にも思っていなかった私が、大関取りに向かい、実際に挑戦できるくらいの力がついてくるんだから面白いなと思います。だから本当にそういうきっかけというものはすごく重要です。
15歳で相撲界に入って、きっかけとなった白鵬戦が24歳。それまではひたすら筋トレをして身体をバキバキに鍛えていたのですが、そこからは、すぱっとウエイトトレーニングをやめました。筋肉があるとかえってそれが自信になってしまい、筋肉を過剰に信じて立ち合いをするので、強く当たっているようで当たっていないというか。でも筋肉に頼らなくなってからは身体を柔らかく使えるようになり、それまで以上に軸が安定して、より大きな力が発揮できるようになりました。筋肉ではない部分で相撲が取れるようになったんです。
一方で、今の力士はウエイトトレーニング中心になっているところがあり、欧米っぽい稽古に変わってきています。そうすると骨格の大きい外国人力士との差が出てきてしまうと感じます。ですので、うちの部屋では私の経験に基づいて、日本人の身体の強さを活かせる部分を鍛える稽古をしています。今回横綱になった大の里もそうですが、すごく私のことを信じてやり続けているので、まだ入門して2年ですが、かなり身体は強くなっています。
稽古の量で型を作るのが大相撲

まさに今年の1月に大の里を呼んで、質にこだわりすぎていているから稽古量を増やそう、身体の貯金を増やしておこうと言いました。たしかに最近は「短く全力でやる」という風潮があります。私も部屋を開いて4年になりますが、最初の頃は稽古時間をすごく少なくして、量より質を重視していた時期がありました。ただ、しばらくしてから、まずは量をたくさんこなして、身体に覚えさせることが重要だということに気づきました。弟子からすれば、なんか意味の分からない稽古をずっとさせられているけれど、とにかくやる! みたいな感じです(笑)。たとえ全力でなくても、とりあえず稽古をするということが、型を覚えたり、身体の強さに慣れたりすることにつながるのだと思います。全力でやる時って、あんまり身体が覚えてこないんですよね。短時間に全力でやっても身体が覚えないまま終わってしまう。たとえばボクシングも空手もまずは型を覚えますよね。稽古の量で型を作っていくというのが大相撲のやり方なのではないかと思います。そういう理由で、大の里には量の方も増やした方がいいんじゃないかという話をしました。ただ、うちの部屋にはいま21人の力士がいますが、鍛錬に関しては大の里がずぬけている。努力量が全然違う。強い奴がさらに稽古したらそれはやっぱり強くなりますよ。
今の子はしっかりと目標を持っていますね。強くなりたいというのもそうですし、モチベーションを持っている子は一気に伸びます。私の時はそういう気持ちを持つ余裕がありませんでした。そのため、なかなか目標も決まらず、出世するまでにすごく時間がかかってしまったんだと思います。
答えはすぐに教えない。まずは土台を作る
最近の若い子は、すぐに答えを教えてくれる指導者が良い指導者だと考えているように感じます。でも基本的に私は何も言わないです。技術的なことはほとんど言いません。でもそれには理由があって、ある程度まで体力をつけてからでなければ、技術を磨いても身体は覚えてこないんです。だから若い子に言うのは、とにかくたくさんご飯を食べて、たくさん稽古をしろということだけです。でも答えを求めようとしている子がすごく多いので、それは一回打ち壊してしまうというのが私の方針です。技術よりも何よりも、まずはご飯を食べて身体を作ったり、それこそ若いころは筋トレをしてもいいと思います。そして自力を上げて、ある程度のレベルまで来ないと、やはり出世は見込めないと思います。
ひらめきが生まれるチャンスを増やすことが大事
選ばれし者というのはあると思います。選ばれし者が努力した結果ではないでしょうか。色んなきっかけもありますし、色んな出会いもありますし、色んなことが起きないと、やっぱり一番にはなれないと思います。そのためにも、稽古量を増やして、ひらめきが生まれるチャンスを増やすことがすごく大事だと思います。ひらめいて、これだ! と思った時の成長の仕方というのは、伸び方が全然違いますからね。アスリートはそうだし、特に若い子はそうですよね。だから自分自身で気づかせてあげないと、伸びないと思います。人に言われてやってみようではなくて、自分が乾いたスポンジのようになって、何でも吸収してやろうと思わないと。そういう時がすごく強くなる瞬間なのだと思います。自分の頭で考えろということですね。指導者とは、そういうきっかけを作ってあげる存在でなければならないと思います。自分で考えて、自分で納得できるような瞬間を作ってあげる。色々言いたくなっちゃいますけどね(笑)。
次世代にはもっともっと相撲を追求して欲しい
15歳です。ものすごく稽古していますよ。とにかくがんがん基礎運動しています。でも基礎運動にも形(かたち)があるので、形はしっかり教えています。丹田と、太ももの裏側にあるハムストリングがすごくパワーが出る部分なので、そこに対して適切にアプローチできるような、そういう稽古の仕方は教えています。形が少し変わるだけでだいぶ違ってくるので、そこはしっかり教え込んでいます。そのくらいですかね。あとは飯食っとけと言うくらいですね(笑)。安美錦関(現安治川親方)が現役の頃、体重が軽くて師匠に会うたびに「飯食え」と言われて、ストレスで円形脱毛症になったらしいんですよ。うちの部屋はまだそこまでではないです。でも強くなる人って、そのくらいご飯をたくさん食べるんです。大きくならないと強くならないですから。
引退した後に早稲田大学大学院に進学したのですが、スポーツ選手が身体を大きくするための論文というのはほとんど無いんですよね。ラグビー南アフリカ代表の、たとえば体重100kgだったら1日どのくらいのたんぱく質を取れば身体が大きくなりやすいみたいな論文くらいしかない。身体を大きくするというのは、何が正解か分からないんです。でも経験上、ご飯を食べたらやはり大きくなります。体質は関係ないと思います。みんな痩せる体質だとか言いますけど、見ていたらやっぱり食べていないし、あんまり食べてないのに太ると言っている奴は、ずっと見てるとやっぱり食べてるんですよ(笑)。ご飯を食べるのは大変なこともありますが、苦しい顔は見たくないですし、その子の人生がかかっているので、付きっきりでサポートしています。幕内の平均体重は160kgなので、それに近づけさせてあげたいなという思いはあります。

ここからさらに成長する横綱だと思っています。常に右肩上がりで成長させてあげたいなとも思いますし、成長がなければ維持もできないですし、優勝回数を重ねていくこともより一層厳しくなってくるとは思いますので。でも横綱になったからこそもっと稽古をして、もっと相撲を追求していって欲しいなと思いますね。
